次回『豊臣兄弟!』で描かれる「本圀寺の変」とは?三好三人衆の逆襲…足利義昭はどうなるのか (2/5ページ)

Japaaan

信長のいぬ間に……

左から三好⻑逸(中野英樹)・三好宗渭(奥田洋平)・石成友通(阿部亮平)。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

永禄11年(1568年)10月に上洛を果たした信長は、わずかな手勢を残して10月26日に岐阜へ帰国しました。

その理由には諸説あり、兵糧が欠乏していたなどが考えられています。

信長さえいなければ、義昭など恐るに足りません。信長との決戦を避け、兵力を温存していた三好三人衆は阿波国(徳島県)はじめ四国各地の兵を掻き集めました。

この動きを察知した義昭も備えを固めていましたが、12月24日に松永久秀(竹中直人)が大和国(奈良県)を離れ、岐阜へと向かいます。

信長に新年の祝辞を述べるためと考えられますが、これにより京都の守りが薄くなってしまいました。

この好機を逃すまじと三好三人衆は挙兵。海を渡って12月28日には和泉国(大阪府南西部)の家原城を攻め落とします。

年が明けて永禄12年(1569年)1月4日、三好三人衆は将軍地蔵山や東山を焼き討ちにし、義昭の退路を断ちました。

そして翌1月5日には洛中へ突入。義昭がいる本圀寺へ攻めかかったのです。

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