『豊臣兄弟!』あれほど仲の良い兄弟なのに…豊臣秀吉と秀長の実父を巡る切なすぎる矛盾と謎 (2/4ページ)
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江戸時代の軍記物によれば、実父の弥右衛門は天文12年に没し、母のなかは同年に竹阿弥と再婚したとされています。
この、死別直後のスピード再婚が、長年信じられてきた豊臣兄弟のファミリーヒストリーでした。
ところが、豊臣秀長の生年を詳しく検証するといろいろ矛盾点が出てきます。秀長が生まれたのは天文9年とされており、逆算すれば弥右衛門が存命だった時期と完全に重なるのです。
つまり、秀長は継父の子ではなく実父の子として、なかと弥右衛門の間に生まれていたことになります。
よって最近の研究では、弥右衛門となかは死別ではなく、生前に離婚していたという説が有力視されています。
弥右衛門が戦傷で心身を病み、働けなくなったために生活の術として離別を選んだというものです。
名前の使い分け・身分変化のからくりそもそも竹阿弥という名は、当時の農民や武士が名乗る一般的な諱(本名)ではありません。これは阿弥号と呼ばれ、時衆や芸術家、あるいは主君に仕える同朋衆が用いる特殊な名前です。
ここで浮上するのが、弥右衛門が身分を変える過程で名前を使い分けたという説です。弥右衛門が同朋衆として織田家に仕える際、新たに名乗った号こそが竹阿弥だったと考えられます。
