『豊臣兄弟!』あれほど仲の良い兄弟なのに…豊臣秀吉と秀長の実父を巡る切なすぎる矛盾と謎 (3/4ページ)

Japaaan

これが当たっているとすれば、かつて「父の死後に現れた別の男」と解釈されていた竹阿弥ですが、実際には一人の男のキャリアチェンジの足跡を示しているものと言えるでしょう。

足軽から芸能担当の同朋衆へと役割を変えたことで、記録上二人の人物が誕生してしまったのです。

この視点に立つと、秀長がかつて小竹(こちく)というあだ名で呼ばれていた理由も合点がいきます。

豊臣秀長(Wikipediaより)

秀長は父が竹阿弥を称し始めた時期に育った子だからこそ、その号にちなんだ呼び名となったのではないでしょうか。

名前の混乱は、後世の編纂者が「弥右衛門」と「竹阿弥」を別々のエピソードの登場人物として処理した結果です。

秀吉自身が過去を粉飾しようとしたことも、この実父像の分裂に拍車をかけたに違いありません。

罵倒に秘められた愛憎?

とはいえ、上記の同一人物説が正しいとすれば、解決すべき大きな謎が一つ残ります。

それは賤ヶ岳の戦いで秀吉が秀長に対して放ったとされる、「お身と我は、種違ったり(父が違う)」という罵倒です。

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