織田信長の「楽市・楽座」の狙いは“宗教勢力”つぶしだった?戦国時代の市場支配の実態 (3/5ページ)
信長は、こうした寺社の横暴が領国内の経済を停滞させていると判断。寺社の既得権益は、領民の生活を圧迫する最大の壁であると見なしたのです。
ここまで見ていけばもうお判りですね。楽市・楽座とは、寺社による独占の鎖を断ち切るための経済政策でした。市場の透明化を進めることで、不透明なマネーの流れを強制的に遮断したわけです。
信長による比叡山焼き討ちなどの強硬策も、こうした経済的対立の延長線上にあります。
戦国時代、織田信長の「比叡山焼き討ち」本当の理由は宗教弾圧ではなく“脱税の摘発”だった!?ちなみに一般的に、楽市・楽座制度は信長が最初に導入した政策と誤解されがちですが、実際には信長よりも早く、1549年には六角承禎が、また1566年には今川氏真も同様の政策を実施しています。
実は「楽市・楽座」は織田信長の発案ではなかった!信長以前の「楽市令」とは?間違いなく、当時の戦国大名たちは宗教勢力による市場の支配を問題視していたのです。信長はこれらの先行例を参考にして自らの政策に取り入れたのでしょう。
領民が潤う政策信長が掲げた経済政策の指針は、驚くほど一貫したものでした。

