3人に2人が討死!『豊臣兄弟!』で描かれる“金ヶ崎の退口” 絶体絶命の小一郎&藤吉郎はどう生き延びた? (1/2ページ)

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3人に2人が討死!『豊臣兄弟!』で描かれる“金ヶ崎の退口” 絶体絶命の小一郎&藤吉郎はどう生き延びた?

時は元亀元年(1570年)、織田信長(小栗旬)は朝倉義景(鶴見辰吾)を討つため越前国(福井県東部)へ出兵しました。

勇戦のすえに金ヶ崎城を攻略したものの、近江国(滋賀県)の浅井長政(中島歩)が離反し、織田の背後を突くとの急報に接します。

このままでは挟み撃ちで滅ぼされる……信長は我先に京都へと逃げ出しました。

追撃を食い止める殿軍(しんがり)を仰せつかったのは木下藤吉郎秀吉(池松壮亮)。弟の小一郎長秀(仲野太賀)らと力を合わせ、死地を切り抜けねばなりません。

これが後世に名高い「金ヶ崎の退口(のきぐち)」、果たしてどんな戦いを繰り広げたのでしょうか。

今回は『絵本太閤記』より、豊臣兄弟らの活躍を紹介。

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