暗闇で極楽とつながる神聖な宗教儀式…江戸時代の庶民が熱狂した「戒壇めぐり」の正体

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暗闇で極楽とつながる神聖な宗教儀式…江戸時代の庶民が熱狂した「戒壇めぐり」の正体

戒壇めぐり(かいだんめぐり)を知っていますが? 別名「胎内くぐり」とも呼ばれるこの体験は、善光寺(長野県)や清水寺(京都府)などで有名です。

長野県 善光寺

長野県 善光寺

江戸時代、この戒壇めぐりは現代よりもずっと「リアルな宗教体験」であり、ある種のアトラクション的な娯楽でもありました。

現代では「真っ暗で面白いね」という感想で終わることも多いですが、江戸時代の人々にとって、これは極楽浄土への切符を得るための神聖な儀式。本尊の真下にある「極楽の錠前」に触れることで、ご本尊と縁を結び、死後に極楽へ行ける(往生できる)と信じられていました。

もちろん電灯などはありません。「一寸先は闇」の状態です。

参拝者は、壁に右手を添えながら、自分の心臓の音と前の人の足音だけを頼りに進みました。善光寺などの御開帳時期には、江戸中から人が集まりました。狭い通路に人々がひしめき合い、暗闇の中で人の体温や息遣いを感じる、非常に濃密な空間だったようです。

江戸時代の人々は、この暗闇を「母親の胎内」に見立てていました。

暗闇に入ることで、一度現世の自分を捨て、恐怖に耐えながら錠前を探す行為を修行と捉えました。そして出口から光の中へ出ることで、罪が浄化され新しく生まれ変わると信じられていたのです。

このドラマチックな体験が、エンタメの少なかった江戸時代において、庶民の心を強く掴んだのです。

江戸時代の参拝方法

江戸時代の善光寺参拝は、単にお堂に入るだけではなく、非常に緻密な手順が決まっていました。

精進潔斎(しょうじんけっさい): 参拝者はまず、宿坊(しゅくぼう)に泊まって身を清めました。肉や魚を断ち、翌朝の「お数珠頂戴(おじゅずちょうだい)」という、住職から頭を撫でてもらう儀式を受けてから本堂へ向かいます。

本堂での読経: いきなり戒壇に潜るのではなく、まずは本尊の阿弥陀如来に手を合わせます。この「表の参拝」のあとに、いよいよ「裏の体験」である戒壇めぐりへと進みました。

本堂の脇から地下へ降りる階段があり、ここで案内人の僧侶から「これより先は極楽の入り口なり」といった説明を受けます。

信濃国善光寺略絵図([神社仏閣地図、明治8年)

江戸時代の3つの鉄則

当時の人々が守っていた、現代よりも少し厳しい作法がこちらです。

右手の位置は「壁から絶対に離さない」。右側は「聖なる側」とされ、壁を伝うことで本尊との繋がりを確認しました。 声は「無言」または「念仏」。雑談は厳禁。暗闇の中で「南無阿弥陀仏」と唱える声だけが反響する、極めて神秘的な空間でした。 足運びは「すり足」。前の人にぶつからないよう、また見えない段差で転ばないよう、慎重に一歩ずつ進みます。 錠前(じょうぜん)の正体

本尊(阿弥陀如来)の真下にある、縦に動く大きな「かんぬき」のような金属が極楽への錠前。

これを「ガチャリ」と鳴らすことができれば、本尊と直接握手をしたのと同じ功徳が得られるとされました。江戸時代の記録には、暗闇の中で錠前が見つからず、パニックになって何周も回る人の姿も記されています。

回向柱(えこうばしら): 御開帳の時期には、本堂の前に巨大な柱が立ちます。戒壇めぐりのあとにこの柱にも触れることで、ご利益を「ダブル」で持ち帰るのが定番でした。

一方で、江戸っ子たちは信心深さと同時に「旅の楽しみ」も忘れません。戒壇めぐりで身を清めた後は、精進潔斎といって、門前町で蕎麦を食べたり、お酒を楽しんだりするのが定番でした。

有名な戒壇めぐりができる寺院は下記の通りです。
・善光寺(長野県)
・東大寺戒壇院(奈良県)
・成田山新勝寺(千葉県)
・高野山の寺院(和歌山県)など

インバウンドが叫ばれるなか、外国人にはわからない、日本人ならではの神秘体験を感じてみてはいかがでしょうか。

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