『豊臣兄弟!』主君を売る裏切り者…悪役ぶり全開の朝倉景鏡(池内万作)に待つ哀れな最期 (3/3ページ)
主君の落ち目に乗じて裏切る者は少なくありませんが、一門からの裏切りは大きな衝撃だったことでしょう。
裏切り者の末路主君の首級を差し出したことで景鏡は降伏を許され、臣従の証として上洛すると、本領を安堵されます。
その際に信長から信の字を拝領し、土橋信鏡(つちはし のぶあきら)と改名しました。
朝倉の家名と一族の通字「景」を捨て去り、完全に織田家臣となる覚悟を示した……というか、屈従を強いられたのでしょう。
さすがに長鏡(信長の足下)としなかったのは、せめてもの情けか、あるいは実力に対する配慮(謀叛を起されたら困る)からかも知れませんね。
その後、朝倉景鏡改め土橋信鏡は天正2年(1574年)に勃発した越前一向一揆に出陣。あえなく討死してしまいました。
あまりにもあっけない景鏡の末路を、人々は落首に詠んだと言います。
日のもとに かくれぬその名 あらためて 果は大野の 土橋となる
【意訳】日本国に隠れなき名門・朝倉の家名を棄てた末路は野ざらしの骸。土がついて恥さらしなことだ。
名門に驕って一族と争い、主君を裏切った成れの果ては、反服常なき戦国乱世にあっても一際軽蔑されたことでしょう。
終わりに今回は朝倉景鏡について、その生涯をたどってきました。
実に見事な悪役ぶりから、視聴者の溜飲を下げる、これでもかとばかり哀れな末路が描かれるのでしょうか。
何なら、義景を裏切った罪によって処刑される……と言ったアレンジが加えられるかも知れませんね。
※参考文献:
水藤真『人物叢書 朝倉義景』吉川弘文館、1986年11月 歴史群像編集部 編『【全国版】戦国時代人物事典』学研パブリッシング、2009年11月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan