江戸時代の農民は“弱者”ではなかった!幕府の強制検地をも断念させた百姓たちの交渉力と生活防衛術 (2/4ページ)
こうなると増産分はすべて農民の利益になるため、彼らの生産意欲は劇的に高まったのです。
さらに災害時には年貢を減免するなど、幕府や藩による柔軟な運用も徹底されていました。江戸時代の徴税システムは、農民の生活が破綻しないよう緻密に計算された合理性に基づいて運用されていたのです。
強制捜査も中止に追い込むところで江戸時代の農村には、隠し田と呼ばれる帳簿外の田んぼが存在していました。ここで収穫された米には一切の年貢がかからないため、農民たちの重要な裏金となっていました。
役人も隠し田の存在を察知していましたが、あえて深く追及していませんでした。
元禄期から使われ始めた農具「千歯こき」(Wikipediaより)
もちろん領主側も、隠し田を摘発して税収を増やしたいという本音は持っていました。しかし、そのために行われる検地という調査は、政治的に極めてリスクの高い行為だったのです。
どういうことかというと、土地を正確に測れば隠し田がバレるため、農民たちが猛反発するのは必至です。検地を強行することは現代の強制捜査に等しく、農民の怒りを買う危険な博打だったのです。
実際、天保十三年に幕府が近江で行おうとした検地が、農民たちの反対で中止に追い込まれたというケースも存在します。