明治時代の地租改正は“農民いじめ”ではなかった?明治日本の税制改革が米の収穫量を激増させた理由 (2/3ページ)
江戸時代の年貢率は藩ごとにバラバラで、幕府領は軽く、藩領は重いという不公平がありました。
これが地租改正で税率が全国統一されたことで、多くの農民にとっては負担減となったのです。
一方で旧幕府領では負担増となり、明治初期の一揆が旧幕府領に集中したことも記録に残っています。
また、江戸時代の徴税は役人の裁量が大きく、賄賂や不正が横行していました。農民が“袖の下”で負担を軽くしてもらうのは珍しいことではなかったのです。
地租改正はこの不透明な構造を断ち切り、明確な基準に基づく税制を導入しました。
明治政府が行った全国的な土地調査では、江戸時代の記録で三二二二万石とされていた収穫量が、実際には四六八四万石もあったことが判明します。
いわゆる「隠し田」による脱税が大量に存在していた証拠で、地租改正はこうして脱税防止にもなったのです。
最善の税制ところで、もともと地租は明治時代前半の税収の柱で、明治十八年には税収の八割を占めるほどの存在でした。
しかし日本が急速に成長していく中で、地租の比重は次第に低下していきます。