『豊臣兄弟!』なぜ足利義昭(尾上右近)は信長を見殺しにしたのか?姉川で動けなかった“将軍”の限界[前編] (4/5ページ)

Japaaan

室町幕府が決定的に弱かった理由は、将軍家の直轄領がきわめて少なかった点にあります。直轄領が少なければ、当然ながら動員できる兵数も限られてしまいます。

足利将軍家の所領は、概ね山城一国程度といわれます。さまざまな考え方がありますが、よくいわれるように1石について正規兵を300人と計算しますと、その兵力は、せいぜい7,000人くらいでしょうか。

庭の藤戸石に怒りをぶつける足利義昭。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

しかも戦国期に入ると、将軍家といえども山城国全体を掌握することは難しく、実際に動かせる兵はさらに限られていたはずです。

また、義昭の時代ともなれば、常時動員できたのは、京都在番の奉行衆を中心とする直臣たちのみ。人数にして数百人規模に過ぎなかったと考えられます。

一方、江戸幕府は約400万石の直轄領を有し、「旗本八万騎」と称される12万人にものぼる膨大な直属軍を抱えていました。

これでは、義昭の言うように「出さぬではない、出せぬのじゃ」と言うしかなかったのです。

「『豊臣兄弟!』なぜ足利義昭(尾上右近)は信長を見殺しにしたのか?姉川で動けなかった“将軍”の限界[前編]」のページです。デイリーニュースオンラインは、姉川の戦い足利義昭戦国時代織田信長カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る