『豊臣兄弟!』史実で万丸と宮部継潤の関係は?比叡山焼討ちに対する実際の評価ほか第16話を考察 (3/9ページ)
いつもの如く傾きながら、家臣たちの心遣いに内心感謝する信長。どうせ退場となるなら、ここで可成をフォーカスしてほしかったかも。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
元亀元年(1570年)9月20日、浅井長政と朝倉義景(鶴見辰吾)の進撃を食い止めるべく宇佐山城(滋賀県大津市)に立て籠もった森可成(水橋研二)が討死してしまいました。
この時に信長の弟である織田信治(おだ のぶはる)や、近江の国人・青地茂綱(あおち しげつな)らも城を枕に討死しています。
ちなみに宇佐山城そのものは、森家臣の各務元正(かがみ もとまさ)や肥田忠政(ひだ ただまさ)らが持ちこたえたため、落城を免れました。
劇中で逆上した信長が床几(しょうぎ。陣中などで用いる野外用の椅子)を後足で蹴っていましたが、あれは恐らく可成の死を深く悲しみ、悔しさに憤っていたのでしょう。
森可成は織田家中における古参中の古参で、十文字槍を奮う武勇から「攻めの三左(さんざ。三左衛門)」の二つ名をもって恐れられました。
歴戦の中で指が一本欠けたことから、心無い者から十九(手足の指を数えて二十本揃っていない意)と陰口されたこともあったそうです。
