江戸庶民が払っていた負担感ゼロの「見えない税金」とは?江戸幕府を270年支えた知られざる財源 (2/3ページ)

Japaaan

世界遺産・石見銀山の龍源寺間歩

戦国時代は各地の大名が勝手に貨幣を作っていましたが、家康はそれにストップをかけました。そうすることで安定した貨幣制度を築くことができると、家康は分かっていたのです。

家康の財政術

さて前述の通り、全国の人々は幕府が鋳造した貨幣を使うしかなかったため、幕府が決めた価値で貨幣を入手し、交換することになります。

徳川家康が整えたこのような貨幣制度は、長年にわたり幕府財政の安定に大きく貢献しました。

徳川家康(Wikipediaより)

また、こうした貨幣鋳造益は、年貢のように収穫量・市場の景気・天候にも影響されにくい安定財源だったのも大きなメリットでした。

江戸時代の270年間で米価は相対的に下がり、年貢収入の価値は低下していきます。

しかしその間も貨幣鋳造益はむしろ増えており、幕府財政の三割以上を占めるまでに成長します。

幕末にはその割合がさらに高まり、幕府財政の根幹を支える存在となっていました。

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