『豊臣兄弟!』なぜ豊臣秀吉が天下を取れたのか?〜本能寺後に光秀を圧倒した「兵力と速さ」の正体[前編] (3/4ページ)

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とくに、頼みとしていた細川忠興(丹後)や筒井順慶(大和)などが動かなかったことは致命的で、光秀は実質的に直轄領の36万石、約1万人で戦わざるを得なかったのです。

中国大返しの尼崎で軍議を行う羽柴秀吉(歌川貞秀作)

さらに秀吉は信長の死を知ると、中国戦線で対峙していた毛利氏と急ぎ和睦し、驚異的な速さで畿内へ引き返しました。この「中国大返し」と呼ばれる行動は、光秀の予想をはるかに超えるものでした。

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この兵力と速力で敵を圧倒する戦い方は、まさに信長の戦法の継承でした。

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