『豊臣兄弟!』なぜ豊臣秀吉が天下を取れたのか?〜本能寺後に光秀を圧倒した「兵力と速さ」の正体[前編] (1/4ページ)

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『豊臣兄弟!』なぜ豊臣秀吉が天下を取れたのか?〜本能寺後に光秀を圧倒した「兵力と速さ」の正体[前編]

一般に日本における戦国時代の始まりは、1467年(応仁元年)の応仁の乱とされます。

一方、その終わりにはいくつかの説があります。たとえば、1568年(永禄11年)、織田信長が足利義昭を奉じて上洛したとき、1573年(天正元年)に信長が義昭を追放したとき、そして1587年(天正15年)に豊臣秀吉が後北条氏を滅ぼし、天下統一を成し遂げたときなどです。

いずれにせよ、秀吉の天下統一によって、日本国内の戦乱はひとまず収束へと向かいました。そうした視点に立てば、秀吉こそが戦国時代を終わらせた人物と考えてもよいのではないでしょうか。

では、群雄割拠の戦国時代にあって、なぜ秀吉が天下統一を果たせたのか、その理由を[前編][後編]の2回に分けて紐解いていきましょう。

[前編]では、圧倒的な兵力と速力によって敵を攻略した秀吉の戦い方について考察します。

豊臣秀吉画像(佐賀県立名護屋城博物館)

本能寺の変後、誰よりも早く動き光秀を滅ぼす

秀吉の天下取りへの第一歩は、いうまでもなく1582年(天正10年)に起きた本能寺の変でしょう。その直後に起きた山崎の戦いで、信長を殺害した明智光秀を討ち果たします。

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