【豊臣兄弟!】なぜ秀吉は無断撤退?その後どうなる?史実だった柴田勝家との喧嘩・信長激怒事件の結末 (3/6ページ)
歴史から消えた幻の息子・羽柴与一郎の謎多き生涯
上杉謙信との対決に出陣するが……
上杉謙信の雄姿。月岡芳年「芳年武者旡類 弾正少弼上杉謙信入道輝虎」
八月八日 柴田修理亮 大将として北国へ御人数被出候 滝川左近 羽柴筑前守 惟住五郎左衛門 斎藤新五 氏家左京亮 伊賀伊賀守 稲葉伊予 不破河内守 前田又左衛門 佐々内蔵介 原彦二郎 金森五郎八 若狭衆 賀州へ乱入添川手取川打越小松村本折村阿多賀富樫所々焼払在陣也 羽柴筑前御届をも不申上帰陣仕候段曲事之由被成御逆鱗迷惑申され候……
※『信長公記』巻之十 (天正五年丁丑)六「柴田北国相働之事」より
時は天正5年(1577年)8月8日。柴田修理亮(しゅりのすけ。勝家)は、上杉謙信に攻められた能登国七尾城(石川県七尾市)の長続連(ちょう つぐつら)を救援するべく、兵を起こしました。
