朝ドラ【風、薫る】“古い看病婦”ではなかった!現場の師として看護を支えた永田フユのモデル・吉村セイの実像 (3/5ページ)

Japaaan

※参考記事:

朝ドラ『風、薫る』梅岡女學校のモデル「看護婦養成所」とは?りんと直美が目指したトレインド・ナースを史実から考察

ここで大関和や鈴木雅らは、消毒法、包帯術、薬餌用法などを学び、日本におけるトレインドナース誕生へと進んでいきます。

その新しい看護教育の現場に、吉村セイはすでに働いていました。彼女は西洋式の学校教育で育った看護婦ではなく、長年の経験によって技術を身につけた現場の人でした。

セイは戊辰戦争で夫を失った後、約20年にわたって看病婦として働いていたとされます。帝国大学医科大学附属第一医院の前身にあたる横浜の軍陣病院が開かれたころから、病人の世話に携わってきたとされています。

桜井女学校附属看護婦養成所の第1期生たち。彼女たち(大関和や鈴木雅ら)の指導的立場となったのが吉村セイであった。

低い評価にもめげず、医療現場で縁の下の力持ちに徹する

当時、看病婦という職業の評価は高くありませんでした。

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