【豊臣兄弟!】加藤清正や福島正則の陰に隠れた名将…“賤ヶ岳の七本槍” 糟屋武則がたどった生涯 (2/4ページ)
小一郎(仲野太賀)が総大将デビューで覚醒?激闘の顛末を紹介
武勇と実務能力を兼ね備えた名将
糟屋武則は永禄5年(1562年)に志村某の子として誕生。幼くして父を亡くしたため、播磨加古川城(兵庫県加古川市)を治めた糟屋朝正(ともまさ)の養子となりました。
朝貞は異父兄にあたり、親代わりとなって武則を育ててくれたのです。
武則が秀吉に仕えたのは天正5年(1577年)、小寺孝高(おでら よしたか。黒田官兵衛)の調略によって、兄弟揃って主君の別所長治(べっしょ ながはる)から鞍替えしました。
秀吉は武則の器量を見込んで小姓頭に取り立て、野口城攻めで初陣を飾らせて以来、中国攻めで武勲を重ねます。
天正7年(1579年)に兄の朝正が討死してしまったため、翌天正8年(1580年)に家督を相続しました。
