“財閥”はなぜ戦前の日本経済を支配できたのか?一族に富を集めた「持ち株会社」という仕組み (2/3ページ)
ここに目をつけた財閥は事業を分社化し、利益を持ち株会社に集中させました。
すると持ち株会社は莫大な配当金を受け取り、財閥一族はほぼ無税で巨額の富を蓄積することになりました。
1920年、丸の内の三菱財閥本社 (Wikipediaより)
さらに、持ち株会社の株は非公開で一般の投資家は買うことができず、経営権は一族の手から外に出ることがありません。
その一方でグループ企業の株は公開されていたため、財閥は市場から資金を調達できます。
つまり、資金は外から集めるけれど、支配権は一族が独占するという構造が成立していたのです。この仕組みが財閥を日本経済の中心へと押し上げました。
政治との結びつき財閥の力を強めたもう一つの要因が、政治との癒着でした。
財閥は明治政府の保護を受けて成長しましたが、帝国議会が開設されて民主制度が導入された後も、その関係は続きました。
選挙制度が整うにつれ、政治家は多額の選挙資金を必要とするようになり、財閥からの資金提供に依存するようになります。
昭和初期には、政友会には三井、民政党には三菱というように、政党と財閥の結びつきが明確でした。安田、古河、住友などもそれぞれ政党に資金を提供し、政治と財閥の間には閨閥も形成されていたのです。