『豊臣兄弟!』“穴がない穴”を論破しドヤ顔の官兵衛…見事な策で勝利を収めた「福原城の戦い」の実際 (2/5ページ)
🄫NHK
時は天正5年(1577年)11月。羽柴筑前守秀吉(池松壮亮)は上月城の前哨戦として、福原主膳助就(ふくはら しゅぜんすけなり)が守る福原城(作用城)に攻めかかりました。
さて官兵衛いかがする……秀吉の諮問に対して、官兵衛は囲師必闕(いしひっけつ)の策を献じます。
囲師必闕とは「軍勢で包囲する時は、必ず欠けた部分を作ること」でした。
なぜなら完全包囲してしまうと、逃げ場を失った敵が決死の覚悟で抵抗するため、こちらの被害も大きくなってしまうからです。
だからあえて逃げ道を用意することで敵の戦意をそぎ、勝利をより確実に、かつ被害をおさえようとするのでした。
なるほどそれはよい。さっそくそのようにいたそうと、秀吉は一ヶ所だけあえて隙を作った状態で、福原城を包囲しました。
平塚藤蔵と竹森新次郎
さて、秀吉の前から下がってきた官兵衛のもとへ、一人の牢人がやってきます。
彼の名は平塚藤蔵(ひらつか とうぞう。後の平塚為広)、以前秀吉に仕えていましたが、勘気をこうむって追い出されていました。
今回の戦さで武功を立てて帰参したいと考え、官兵衛の元に転がり込んでいたのです。
藤蔵「官兵衛殿、首尾は?」
官兵衛「殿は我が策をご採用下さった。城から逃げ出した敵はあそこを通るはずだから、そこで待ち伏せされよ。