朝ドラ「風、薫る」遊郭の“やり手婆”とは?看病婦・須永ヨシが知る明治時代の女郎の地獄
NHK朝の連続テレビ小説「風、薫る」。第10週『疾風に勁草(けいそう)を』。
一ノ瀬りん(見上愛)と大家直美(上坂樹里)の帝都医大附属病院での看護実習現場は、外科から内科に移りました。
内科では、木村文平(前野朋哉)教授に「のんびりやって」と言われたものの、突然ヒ素を飲んだ服毒心中と思われる男女の患者が運ばれてきます。男性は学生、女性は女郎でした。
今回、クローズアップされたのは、女郎への差別と過酷な現状。
現代だったら大問題になりそうな診察時の医師の「女郎はあとだ!」発言にはSNSでは「あまりに酷い!」という声が。
さらに、自分の息子が心中したことを「こんな女のせいで」「女郎のくせに息子を殺した」と差別発言をしながら怒りまくる両親。
『苦界10年』……そんな「女郎の現実」を知っていたのは、看病婦の須永ヨシ(明星真由美)でした。
口は悪過ぎるは、態度は乱暴だわ、看護学生たちとよく揉めるヨシは元「やり手婆」だということがわかりました。
明治時代、看病婦は遊郭のやり手婆も多かったそうです。そんな当時の看病婦の実情・そもそも「やり手婆」とはどんな仕事なのか・「死んだほうがまし」な明治時代の女郎の実情などを探ってみました。
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※本記事では登場人物のモデルとされる実在人物を紹介していますが、ドラマ上の人物設定や物語展開は創作を含むため、実在人物の生涯・経歴とは異なる場合があります。
とにかくガサツではすっぱで意地悪な看病婦・ヨシ
「私は女郎を締め上げていた、元やり手婆だからね」と、りんと直美に言ったベテラン看病婦の須永ヨシ。看護学生たちが病院に派遣されてきた当初から感じが悪く、乱暴なのが印象的でした。
急須をすごく高い位置にあげてジャバジャバと茶碗にお茶を注いだり、りんが患者さんから病室を追い出されたときも「イッヒヒヒヒ」と意地悪そうに笑ったり、病室の窓を換気で窓を開けたのに乱暴に閉めたり。
極め付けは、湯呑みからお茶をわざと床にこぼして「お上品なぞうきんの吹き方を教えてよ」と喧嘩を売ったり。
日本橋の呉服屋の娘・柳田しのぶ(木越明)が、「なんですの、このおばさん!」と言ってバトルになったシーンは面白かったですね。
ヨシの今までの意地悪の中ではピカ一だった「お茶こぼし」(NHK「風、薫る」公式サイトより)
“いじわるヨシ”を演じるのは明星真由美さんその後、看病婦と看護学生の距離は少しずつですが縮まりました。
しのぶが、ガーゼカットに手間取っていたときに、ヨシは乱暴ながらも効率のいい方法を教えてくれます。「金持ちの子かぁい」としのぶに嫌味ったらしくいうヨシに、「はい。むしろ金持ちの娘が同じ仕事をしている事を認めて欲しいですわ」と答えるしのぶ。二人のやりとりがよかった。
絶対に謙遜しないし怯まないしのぶに対して、ヨシも「やれやれ!しょうがないね。」という感じでふっと笑ったような。
一見、ぶっきらぼうで意地悪な感じだけれども本当は面倒見はいい人なのかも……と感じる場面でした。ヨシは、ひょっとして直美と心中で運ばれてきた女郎・夕凪との縁を結ぶキーパーソンになっていくのでしょうか。
そんな須永ヨシを演じているのは、俳優の明星真由美(みょうせい まゆみ)さん。ドラマや舞台で活躍する有名なベテラン俳優が所属しているシス・カンパニーの人です。一時俳優業を休んで氣志團のマネージャーを勤めていたことでも知られています。
須永ヨシという人物には、特にモデルとなった実在の人物は今のところ不明です。明治時代、実際に看病婦に多かった女郎屋の元「やり手婆」。この時代の看護婦事情や社会背景を投影したキャラクターなのかもしれないですね。
看病婦の須永ヨシを演じているのは明星真由美さん。(NHK「風、薫る」公式「X」より)
「やり手婆」とはどのような仕事か「やり手婆」というキーワードに、SNSでは「どのような仕事か知らない」という人もいれば、「やり手婆がなぜ病院で働くの!?」と驚く人など、感想はさまざま。
江戸時代の吉原を舞台に繰り広げられた昨年の大河ドラマ『べらぼう』を観ていた人は、「やり手婆」という職業がどのようなものなのかご存じでしょう。
ただ、妓楼の女将とやり手婆は異なります。やり手婆は、「べらぼうで、眉のなかった水野美紀さんの役」と思っている人もいるようですが、水野美紀さんの役は、老舗の妓楼「松葉屋の女将」で「やり手婆」はまさ(山下容莉枝)。
誰袖花魁(福原遥)がいる大文字屋の「やり手婆」は志げ(山村紅葉)。
「やり手婆(遣手婆)」は、江戸時代、妓楼でまだ子供の禿・禿が成長した若い見習い遊女の新造・遊女・花魁などの監督をしていました。身持ち、行儀などのしつけなども教えて、遊女たちを厳しく躾けるのも仕事です。また、客と遊女との間を取り持ったり、部屋のとりさばきなども行っていました。
昔の社会や風俗などの記述がある『世事見聞録』によると……
「やり手婆(遣手婆)」は、
〜売女を責め遣ふ事、先づ心の懈怠起らざるやうとて、常々食事をも得と給べさせず、夜の目も眠らで客の機嫌をとるやうにと、時々に改め、もし眠りたる体か、又は愛敬の宜しからざる体の見ゆる時は、厳しく叱り責むるなり〜
とあります。
わかりやすく意訳すると……
「やり手婆は、売春婦の仕事ぶりを指導・監督すること。まずは、怠け心がでないように、日常的に食事は満足に与えず(贅沢はさせないという意味も)、夜遅くまで客の相手をさせ、時々、様子を見に行って注意する。もし居眠りしていたり客に対して愛想がなかったりしていたら、厳しく叱りつけた」
というような内容。
いずれにしても、幼い子どもから年長の遊女までの総監督をしていたようです。のんびり優しくしていたらできない仕事でしょう。
足抜けしたり心中に失敗したりした女郎を折檻するのは、妓楼の女房や遣手婆の仕事。ヨシは捕まって折檻される女郎を見てきたのかもしれません。
「看病婦は当初吉原からやり手婆を連れてきた」
以前、看護見習生の玉田多江(生田絵梨花)が「看病婦は行き場のない女の人。身寄りのない人や遊郭にいたやり手婆も居るって、父が言っていた。」と言ってたのを覚えている人も多いと思います。
多江の父親は医師なので、病院事情をよく知っていたのでしょう。
実際に、『明治女性史』には、
「明治初年東大附属病院に入院患者ができた頃、看病婦を雇うにもなり手がなかったので、やむを得ず吉原の遣手婆さんを連れてきた……(中略)……私の頃には遣手あがりの看護婦が65歳か70歳ぐらいで長煙管をふかしながら、若い看護婦の取り締まりにあたっていた。」
という記述が。あの時の多江のセリフが、今回で回収されたことに。まさか「ヨシがそのやり手婆だったとは!」と、驚きの声があがっていました。
女郎の地獄を知っているヨシの言葉「女郎はあとだ!」と、男性患者のほうばかり(いい家の坊ちゃんだからか)診察し、女郎のほうは見向きもしない内科の医師は、患者なのに女郎だからと物置部屋のような場所に移すように指示します。
この当時、華族や政治家などの患者は上等な部屋、それ以外の一般人は大部屋など、身分によって病室が分かれていましたが、物置部屋に入院させるとは。ものすごい差別。
そして、男性患者の両親は、「うちの息子を死に追いやった女郎は許せん」と大暴れ。「うちの息子をたぶらかした女郎め!」と差別心丸出しで怒鳴るのですが、いやいやいや……買春目的で遊郭に行ったのは「あんたの息子でしょ?」とあの場にいたら言い返してやりたいくらいでした。
「女郎だからって…」と、医師や患者の両親に腹を立てる直美。そんな直美に、ヨシが言ったセリフが重かった。
「男と心中未遂の女郎なんだ。店に戻ったら折檻されて、休んだぶん借金も増える。助けるほうが酷ってこともある。私は女郎を締め上げていたやり手婆だからね。」
「だけど、私たちは看護が仕事なので。失礼します。」と、頭を下げてりんは直美と共に去っていきます。
「ふん、あんまりきれいなこというから、つい」とヨシ。
ヨシのセリフは厳しいものですが、いつもの「わざと意地悪してやれ!」な憎たらしい表情で直美に言ったのではありませんでした。
今まで見たことのないような真摯な表情。哀しみすら感じる真顔だっただけに、その厳しい言葉が胸に沁みました。
女郎は「命が助かっても酷」という現実を知っているヨシ。(NHK「風、薫る」公式サイトより)
明治になり花魁でも「さげずみの対象」に明治時代、ドラマの舞台となっている帝都医科大学附属病院(今の東大)の裏にある根津神社の門前には『根津遊郭』があり、当時は帝大生で夜な夜な賑わっていたそう。原案になった伝記にも無理心中をした花魁の話がでてきます。
そして明治は、花魁など「体を売る女性に対する価値観」が変化した時代でした。花魁など高級遊女は「高嶺の花」のエリートだった江戸時代の価値観から、「男を誘惑する論理的に劣った存在」「性病の温床」という考え方に変わったそうです。
女性は「純潔=処女」がもっとも好ましいという意味不明な価値観に変わり、「処女でない女は性的に搾取されても仕方がない」とする考えもあったとか。そのために女郎は哀れみやさげずみの対象となった……という話があります。
「さげずみの対象なのになんで女郎屋に遊びにいくんだ?」と言いたくなるような、愚かしい価値観です。
ドラマの中の夕凪は、もしかしたらそんな愚かな差別やさげずみの社会の中で、客からも女郎屋からも誰からも、まったく大切に扱われない日々を送っていたのかも。
意識を取り戻しましたときの夕凪の
「どうして…助けたのよ。余計なこと…。また地獄に戻らなきゃなんない…」
という言葉に、どれほどの地獄を生きているのかと思いました。
けれども、「患者が誰であろうが最善の手を尽くすのが看護」を学んできたりんや直美にとっては、息がある患者をほっておくことなどできません。
今は生きていく気力のない夕凪を、りんと直美はどのように看護していくのでしょうか。あまりにも愚かしいこの時代の差別やさげずみの日々から救うことはできるのでしょうか。
「女郎は命が助かるほうが酷」というヨシが語る現実はあるものの、きれいごとでもりんや直美の看護で、夕凪が少しでも生きる希望を取り戻せることを祈りたいものです。
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堀江宏樹『三大遊郭 江戸吉原・京都島原・大阪新町』
田中ひかる『明治のナイチンゲール大関和物語』
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