『豊臣兄弟!』秀吉(池松壮亮)の無断撤退、実は信長(小栗旬)の命令だった?中国攻めに隠された驚きの大戦略 (2/6ページ)

Japaaan


●「織田家の武将たちが各地で戦っており、ほかの武将がいなかったから」(秀長談)。

しかし史実は、そのような単純なものではなかった。
信長にはもとより秀吉を処罰する気がなかったのである。

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その理由は、前年の1576年(天正4年)頃から形成されていた、いわゆる第三次信長包囲網にあった。

足利義昭。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

今回も盟主的存在は、信長により京都を追われた足利義昭(尾上右近)である。義昭は中国の雄・毛利輝元の庇護のもと備後に落ち着くと、そこから反信長勢力に御教書を送り決起を促していた。

義昭が頼りとした一人は越後の上杉謙信(工藤潤矢)だった。1577年(天正5年)4月、謙信は石山本願寺の顕如と和睦交渉を行い、翌月には和睦が成立した。

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