小学校で習う「守護・地頭」は何者だったのか?鎌倉幕府が朝廷から“土地と税”を奪った仕組み (2/4ページ)
こうした状況下で、武家政権である鎌倉幕府は朝廷の制度を上書きする形で新しい役職を作り、地方支配を強めていきます。その象徴と言えるのが守護と地頭でした。
守護は国単位で派遣され、地頭は荘園単位で派遣されるという点が違っていすが、どちらも土地と税の支配権を武家が奪うためのポストでした。
ここに、鎌倉時代の政治構造の核心があったのです。
守護の権限まず守護ですが、これは各国に派遣された鎌倉幕府の御家人です。
役割は治安維持が主でしたが、それだけではありません。守護は土地の検断権を持ち、犯罪処理や裁判に関わることができました。
さらに重要なのが兵糧徴収権です。
兵糧米は実質的に税と同じものを指しますが、幕府から派遣された守護がこの徴収権を持つということは、幕府が朝廷の徴税権を侵食することを意味していました。
守護はまた、各国の収穫量や納税状況を調べる会計検査権も持っていました。これは国司の徴税を監査する権利であり、国司の権限を大きく奪うものだったのです。