小学校で習う「守護・地頭」は何者だったのか?鎌倉幕府が朝廷から“土地と税”を奪った仕組み (3/4ページ)
もともと国司は派遣先の各地で徴税権を牛耳り、さらにバックにいる貴族と結びつくことで私腹を肥やしていた立場でした。その国司の役得を封じ込めたのが守護だったのです。
藤原道長。国司の存在によって私腹を肥やした貴族の代表格(Wikipediaより)
こうして守護は、治安維持の名目で派遣されながら、実際には国司の上位に立つ存在となり、各国の実質的な統治者へと変わっていきました。
地頭はやがて戦国大名に一方、荘園に派遣されたのが地頭です。
荘園は名義上は京都の貴族や寺社の所有でしたが、実際には武家が勝手に支配している例が多く、課税もまともに行われていませんでした。不法占拠です。
そこで源平合戦後、この不法占拠状態を合法化するために、鎌倉幕府は荘園に御家人を配置する権利を朝廷から得ます。そして、占拠していた当の御家人が地頭と呼ばれたのです。