小学校で習う「守護・地頭」は何者だったのか?鎌倉幕府が朝廷から“土地と税”を奪った仕組み (1/4ページ)

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小学校で習う「守護・地頭」は何者だったのか?鎌倉幕府が朝廷から“土地と税”を奪った仕組み

守護・地頭が生まれるまで

鎌倉時代の守護地頭は、小学校でも習う言葉ですが、実際にはとても分かりにくい存在です。領主とどう違うのか、役人なのか、それとも武士なのか……と疑問が尽きません。

この分かりにくさの理由は、この守護・地頭というポストを設置した鎌倉幕府という体制の構造に起因しています。

鎌倉幕府は朝廷の社会を壊して新しく作った政権ではなく、朝廷の制度を土台にしながら、徴税権と行政権を少しずつ奪って成立した政権でした。

もともと平安末期は、荘園が増えたとはいえ公領もまだ多く残っており、両者が入り混じった複雑な状態でした。国司や国衙といった朝廷の地方機関も存在していました。

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さらに源平合戦の影響で治安は悪化し、朝廷の統治力は弱まっていきます。

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