『豊臣兄弟!』さらば半兵衛…風に舞う桜吹雪が「大義であった」と労った天才軍師の最期を史実と共に考察

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『豊臣兄弟!』さらば半兵衛…風に舞う桜吹雪が「大義であった」と労った天才軍師の最期を史実と共に考察

「死にとうないのう……まだ…死にとうない。」

戦場を見渡せる場所まで、皆に運んでもらった竹中半兵衛(菅田将暉)に最期の時が訪れました。

“風向き”が変わり戦局は形勢逆転に。抱き合って大喜びする豊臣兄弟らの姿を、横たわったまま眺める半兵衛は、頬がこけ喉仏の骨が突き出てるほど痩せ細っていました。

「お前らのせいじゃぞ……」と呟き、静かに目を閉じた半兵衛。手から愛用の扇子がパタリと地面に落ちました。

第23話『さらば半兵衛』

第8話『墨俣一夜城』(3月1日)で暗闇から現れ小一郎(仲野太賀)らに「こたびの策はどなたが考えたのでありますか?」と声をかけたのが初登場でした。

最期も、同じ淡い水浅葱色の衣装を身にまとった半兵衛。舞い散る桜の花びらに包まれ“舞台”を去っていきました。

今回は、この3ヶ月以上人間として魅了してくれた菅田半兵衛を振り返りつつ、史実といわれる記録とともに考察してみました。

初登場のときの竹中半兵衛。(NHK「豊臣兄弟!」公式「X」より

「軍中にてこそ死なめ」と播磨に戻る半兵衛

以前、爆死した松永久秀を演じた竹中直人さんが「歴史を塗り替えてこそ、真の大河ドラマ」と“豊臣兄弟”にエールを送った……という記事がありました。

べらぼうの脚本家の森下佳子さんも「大河は『祭り』だとNHKサイドから言われた」と言ってましたっけ。

まさに今回は、菅田将暉さんの渾身の演技・脚本の妙・幻想的なビジュアル演出ほか、記憶に残る総合芸術回になったと思います。

ドラマでは、播磨国三木城の攻防最中に病に倒れた竹中半兵衛。

『太閤記』『常山紀談』では、「体が弱く細く女性のように美しい容貌」で、出陣のときは静かに馬に跨っていることが多かったとあります。

けれども、『竹中家譜』によると病に倒れ秀吉に静養を勧められても「陣中で死ぬ事こそ武士の本望」と断ったそうです。

また、幕末の館林藩士・岡谷繁実『名将言行録』では、三木城攻防の最中に倒れ一度戦線離脱するも「軍中にてこそ死なめ」と軍陣に戻り病死したとあります。

さらに、半兵衛の嫡子・竹中重門が著した秀吉の伝記『豊鑑』では、都で治療を受け一時的に「さわやぐ」(病が回復)も、「播磨にて死なむことこそ軍場に命を落すに同じかるべし」(播磨で死ぬことは戦場で命を落とすことと同じ)と、軍陣に戻ったとか。

半兵衛の病は、労咳(結核)では?と推測されています。

「竹中半兵衛重治」落合芳幾

「荒木村重は裏切る男、説得など意味がない」

さて、ドラマでは秀吉の陣にもたらされた「荒木村重(トータス松本)謀反!」の知らせに、黒田官兵衛(倉悠貴)は単身説得に出向こうとします。

「行ってはならん」と声を荒げ、「すぐにまた裏切る。荒木村重とはそのような男じゃ。」という半兵衛。来週からの伏線になりそう。「弱いから土壇場で裏切る男」と見切っていたのでしょうか。

好き嫌いではなく「人物の本質を見定める目」は確かでした。

案の定、官兵衛は説得に行ったまま村重に捕えられ、その上「官兵衛が裏切った」と噂まで流されてしまいます。(二人の場面でやたら茶道具が映り込むのは、有名な逸話「村重は茶道具を持って逃げる」前振りなのでしょうか)

そこに、信長から「官兵衛の子松寿丸は斬首」の命令が届きました。

半兵衛は「病で亡くなった子を身代わりにして『首』を差し出し、松寿丸は私が匿う。」と申し出ます。

ここまでは史実として伝わる話と同じなのですが。

前回、「幽閉された黒田官兵衛、息子に処刑命令…」という記事で、この出来事を書きました。

「半兵衛は家臣に松寿丸を預け、その子の遊び相手だった子を身代わりに斬首しその首を信長に差し出す」と伝わるのですが、ドラマでは半兵衛は松寿丸を殺す気でした。

信長の命に従ったほうがこの先羽柴家にとってのリスクはない……最期のご奉公「自分が子殺しの罪を背負おう」と心に決めたのでしょう。

荒木村重はの説得など無意味だと、渾身の力で官兵衛を止めようとした半兵衛(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)

豊臣の女たちの子供っぽい罠はオマージュ

松寿丸を殺す気で羽柴家が住む長浜城に乗り込んだ半兵衛は、寧々(浜辺美波)や臨月の(吉岡里帆)らが松寿丸を逃そうとしているのを察知。

城内を探しまくる半兵衛を、廊下にばら撒いた亀・頭から落ちてくる着物・襲いかかる瓢箪の鳴子・たわし・かかし・米櫃戦車など、女性陣が仕掛けた奇天烈な小道具が襲います。

SNSでは「このドタバタシーンはいらない」「子供の学芸会か」という声も。映画『ホームアローン』で泥棒から逃げる子供が仕掛けた罠を彷彿します。

けれど、これぞまさに竹中半兵衛。

昔、彼の草庵の周囲にも、鳴子をぶら下げた縄、扉を開けると飛んでくる矢の仕掛けなどいろいろな罠が仕掛けてありました。実は、半兵衛はこういう罠が好きだったのでしょう。このシーンは「半兵衛の草庵」へのオマージュだと思います。

草庵の内部も、絵地図・城の模型など「独りが大好きな諸葛孔明オタク」ぶりがよく描かれていました。著名人のわりに実態を書き記した史料が少ない半兵衛。

実際は分かりませんが、いかにも引きこもりの半兵衛らしい住まいでしたね。

半兵衛は、城内にいる松寿丸を探しつつ豊臣の女性陣との「戦さ」を楽しんでいるようでした。

さまざまなモノに溢れていた半兵衛の草庵(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)

生まれた「命」を抱き「命」を葬れなくなる

半兵衛の行為を止めに長浜城に駆けつけた小一郎と半兵衛。けれども慶が産気づいたために一時休戦します。

無事に初の女児が誕生し「抱いてくだされ」と頼まれ、おずおずと壊れ物を抱くように赤子を抱く半兵衛。おそるおそる赤子をあやすうち、突然顔を歪ませてボロボロと大泣きし泣き崩れてしまいました。

こんなに感情をむき出しにした半兵衛は初めて。

そして、「私の負けでございます。あの子を抱いた手で子を殺めることなどできぬ」と、松寿丸を匿うことを決めました。

すがすがしいさすら感じる小一郎と笑い合う場面がよかった。

史実では、半兵衛には妻も子もいました。けれども、ドラマ内では登場せず、まるで女性や家庭に興味がないように描かれていました。

たぶん、この回で半兵衛が赤子を抱いたときの「泣き崩れるほどの衝撃と感動」を印象深く描くためだったのではないでしょうか。

命そのものの生まれたての赤子を抱き、松寿丸の命を奪えなくなった半兵衛。(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)

「最も手強き相手でもっとも面白き戦い」

松寿丸の“首”(身代わり)を差し出しに信長のもとを訪れた半兵衛。

首を見た信長は「丁重に葬り供養させろ」といいます。そして「損な役目をよう引き受けた」と。

「これまで戦った中で、最も手ごわき相手でござった。そして、最も面白き戦でござりました」と半兵衛は答えました。

“相手”とは誰?“面白き”とは何?

半兵衛にとっては、突然の水入りとなった赤子かもしれません。

時間もタイミングもその場の空気も読まない。突然この世に『命』として誕生し、唯一無二の絶対的正義として圧倒的にその場を支配する。

そんな赤子の誕生はいかに天才軍師でも予測もできず、オロオロして自分の感情も支配された……そんな赤子こそ「手強い相手との面白い戦さ」だったのでしょう。

信長は“首”は身代わりとわかっていたような気がしました。「裏切りの代償に斬首し見せしめにする」のであれば、さらし首にする、磔にするなどもっと残虐な方法をとっていたのでは。

身代わりの子と分かったために「丁重に葬り供養させろ」と言った気もしました。

「上様、これでお別れでござりまする」と挨拶をする半兵衛に「大儀であった」と、労う信長。

この言葉にすっと背筋を伸ばし、信長の目を見つめて微笑み頭を下げる半兵衛。最期の作戦を無事にやり遂げた達成感が漂っていました。

やり遂げた達成感に溢れていた半兵衛。(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)

もっと豊臣兄弟や仲間と一緒に生きたかった

それからしばらくのち。三木城の秀吉の陣で病の床に臥した半兵衛は、戦局が難航していることを察知して「私が風向きを変えて見せまする」と戦局を見渡せる場所まで自分を運ばせます。

「風が変わりまする。」と半兵衛が言ったと同時に盛大に風が吹き桜の花びらが舞い散ります。

そこに宇喜多直家(緋田康人)が織田家に寝返ったと一報が。(これも半兵衛が生野銀山の銀を押さえたおかげ)

敵がどんどん引く様子をみて、抱き合って喜ぶ豊臣たちを眺めながら「死にとうないのぉ……まだ死にのとうない」「お前らのせいじゃぞ。」と呟く半兵衛。

孤独だったのに、豊臣兄弟と出会い、一緒にいろいろなものを見て、いろいろな場所に行き、語り明かしふざけ合い、まるで兄弟のように付き合った日々。

いつ死んでもいいと達観していたような半兵衛ですが、兄弟と出会い生きていくことはどれだけ楽しかったことでしょう。

仲の良かった蜂須賀正勝(高橋努)の、「おい起きんかっ!」の子供のような号泣には泣けました。

そなたがふかせた風は決して無駄にはせぬ。」と秀吉。

桜が舞い散り半兵衛と豊臣軍を包み込む。きれいな場面でした。

儚げで美しい半兵衛はまるで眠っているかのよう。(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)

「大義だった」と桜の花吹雪が労った最期

菅田さんは役作りのために減量し、髪の毛を伸ばし地毛で臨んだそうです。

皆に囲まれて眠るように亡くなった半兵衛は、「椅子に座ったまま亡くなった諸葛孔明を皆が囲み別れを惜しむ場面」の再現のようでした。

半兵衛が亡くなったのは天正7年6月13日(1579年7月6日)。「桜が咲いているわけない」という声もありますが、ドラマの桜の演出は、半兵衛との別れを飾るにふさわしい記憶に残る場面だったと思います。

信長の「大義だった」という言葉と同じ。

「風」に吹かれ髪に頬に身体に優しく舞い散る桜吹雪が「大義だったね」と半兵衛を労っている……そんな思いを込めた、ドラマからの別れの演出だった気がします。

そして、さまざまな表情を細かい演技で魅了してくれた菅田半兵衛への、最大級の「はなむけ」だったとも。見事でした。

参考:館林藩士・岡谷繁実『名将言行録』

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