老中も逆らえない“女の園”大奥の「無言の圧力」…江戸時代、幕府を揺るがした女たちの政治力と巨額出費 (2/4ページ)
こうした積み重ねで膨張していったのが、大奥の費用です。最初にも述べましたが、江戸幕府の財政が傾いた理由として、この大奥の莫大な費用がしばしば指摘されています。
大奥の力学将軍の、上述のような無駄ばかりの生活に、大奥はどのように関わっていたのでしょうか。
橋本(楊洲)周延画『千代田之大奥 元旦二度目之御飯』(Wikipediaより)
まず、将軍の正室は二十七歳になると夫婦生活を終え、以後は、将軍の世話役である二十名の御中臈(おちゅうろう)が夜の相手を務めました。
彼女たちは老女の支配下にありました。将軍は女性の名前を覚えられず、昼間に衣服の柄を確認して老女に尋ねることで相手を決めたといいます。
時には御中臈以外の奥女中が選ばれることもあり、その場合はお中臈の一人が地位を失いました。
新しい女性が加わることで関係者は増え、先ほど挙げた徳川家斉などは四十名以上と関係し、二十七名から五十名の子が生まれましたとされています。
ほとんど工場の大量生産のような状況でしたが、これは単なる好色ではなく、将軍の血筋と大名との姻戚関係を広げて反抗を防ぐ政治的意図がありました。
こうした婚姻政策は幕府の安定を図るものでしたが、同時に莫大な費用を必要とします。