『豊臣兄弟!』本能寺の変は信長の“裏切り”が原因?長宗我部元親との約束破り「四国説」とは (6/11ページ)
この直後、信長が手のひらをかえすような元親への仕打ちで、友好関係は決裂、間を取り持つ明智光秀は追い詰められていくことになるとは、夢にも思わなかったことでしょう。
そして、さらに5年後、天正13年(1585)「四国攻め」にて総大将・豊臣秀長(小一郎)は、元親を叩き潰す運命にあります。
『京都御馬揃え』では艶やかな装いで、見物を楽しんでいた長宗我部元親だが。(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)
元親の力を利用するもその勢力を危険視した信長長宗我部元親は、天文8年(1539)に高知県南国市にあった岡豊城で誕生しました。
色白で本ばかり読んでいるおとなしい性格の子供で、ドラマのセリフのように家臣たちに影で「姫若子さま」と呼ばれていたとか。
青年期になっても「槍の突き方も知らないうつけ」などと陰口を叩かれるも、22歳という遅めの初陣「長浜の戦い」にて周囲の予想に反して自ら槍を持って突撃し大活躍。
当時、土佐の最大勢力であった本山氏に勝利します。驚いた家臣たちは「鬼若子」「土佐の出来人」と褒め称えたのでした。