国税局査察部(マルサ)はなぜ生まれた?税務署員が命を落とした時代の脱税摘発史 (2/3ページ)

Japaaan

1947年、闇市の屋台でカストリ酒(密造酒)を飲む人々(Wikipediaより)

そこで、例えば農村では村ぐるみで密造酒をつくり、見張り番を置いて税務署の摘発に備えるほどでした。

他にも、ある地域では摘発に来た税務署員が威嚇されて拉致されそうになったり、あげく暴行を受けて命を落とす事件まで起きています。

今でも南米の麻薬密造地域といえば国の権力者すらも恐れさせると言われていますが、まさにあんな感じだったのです。ちなみに上記の殉職事件は今も語り継がれており、東京国税局では毎年殉職者の命日に慰霊祭を実施しています。

さて、こうした事件もあり、より強力な摘発チームとしてマルサこと国税局査察部が必要とされました。

発足当初のマルサは情報収集能力が十分ではなく、脱税情報の多くをタレこみに頼っていました。

貧富の差が大きかった時代で、嫉妬や恨みによる通報も多く、元従業員など内部者からの情報も多かったのです。

さらに、通報者に報奨金を支払う第三者通報制度まで存在し、タレこみは摘発の重要な武器となっていました。

変わる標的

しかし戦後の混乱が落ち着くにつれ、タレこみに依存した摘発手法は問題視されるようになります。

昭和29年には第三者通報制度が廃止され、国税当局はより公正で透明な情報収集を求められるようになりました。

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