朝ドラ「風、薫る」会津戦争で姉を失った悲劇…女学校の校長・望月勘治(関智一)のモデル・中野豊記の生涯 (4/6ページ)

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明治14(1881)年には『小学日本暗射地図附録』を編集。地名などを書き込まず、地形や輪郭を見ながら地理を覚えるための教材です。同書の校閲には、のちに国語辞典『言海』を編纂する大槻文彦が関わりました。

さらに明治17(1884)年には、中沢中とともに『小学作法書』を編集しています。

算術、地理、作法と、豊記が関わった分野は一つではありません。新しい学校制度のもとで、子どもたちに何を、どのように教えるのかを形にしていったのです。

旧新潟第一師範学校記念館。

新潟県視学から高田高等女学校校長へ

やがて豊記は、新潟県視学を務めるようになりました。

視学とは、学校を巡回し、授業や学校運営を調査・指導する教育行政の職です。現在の教育委員会の指導主事や学校監督官に近い役割でした。

当時の新潟県には、都市部だけでなく、山間部や豪雪地域にも学校が置かれていました。しかし、教員の力量や教材、校舎の状態には大きな差があったのです。

視学には、教育内容だけでなく、地域の事情を理解し、学校と行政をつなぐ能力が求められました。

教師として授業を知り、教科書編纂にも携わった豊記は、学校を指導する立場にふさわしい経験を積んでいたのでしょう。

豊記は、幕末の武士から近代国家の教育行政官へと、自らの役割を変えていったのです。

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