ブラタモリで注目!徳川家康はなぜ大須観音を名古屋へ移したのか?「清洲越し」と城下町建設の真実 (3/3ページ)

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後の時代には芝居や芸能も栄え、信仰と商業、娯楽が交わる町へと成長していきます。

清洲越しによって名古屋へ運ばれたのは、建物や家財だけではありませんでした。武士の統治機構、商人や職人の技術、寺社の祭礼、地域の記憶までが、新しい城下町へ移されました。

一方、大須観音の移転は、清須以外の地域からも文化的な資源を集め、名古屋を政治だけでなく、信仰や学問の中心にしようとした都市づくりの一面を示しています。家康が大須観音を移した理由は、水害から寺宝を守ることと、新しい城下町に寺町の核を置くことが重なっていたと考えられます。

現在の大須のにぎわいは、慶長年間に運ばれた一つの寺院から始まりました。名古屋の町は、城や道路だけでなく、人々の信仰と知識まで移すことで形づくられたのです。

真福寺宝生院。大須観音で知られる。出典ウィキペディア(著者
Tomio344456)

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