「王族のような暮らし」は本当だった!庶民に恨まれるほど「財閥」が巨万の富を築けた超シンプルな理由

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「王族のような暮らし」は本当だった!庶民に恨まれるほど「財閥」が巨万の富を築けた超シンプルな理由

低すぎた法人税

戦前の日本では、財閥がまるで王族のような富を手にしていました。

その理由は驚くほど単純で、明治三十三年まで日本には法人税が存在しなかったのです。企業がどれだけ利益を上げても税金はゼロ。利益はそのまま企業と一族の資産になりました。

一応、その後に法人税が導入された後も、税率は平時で五%ほど、戦時でも二〇%程度。現代と比べれば破格の低さでした。

この超低税率こそが、財閥が巨大な富を蓄積できた最大の理由です。

東京都中央区日本橋室町にある三井本館(Wikipediaより)

三井、三菱、住友、安田といった財閥は、一族が企業集団を直接支配し、株式の公開度も低く、利益はほぼ一族のものとなりました。

終戦時には、四大財閥だけで全国企業の資本金総額の約四・七%を占め、資産ベースではさらに高い比率を握っていたとされます。

日本経済の過半が一握りの家族の手にあったという構造は、現代の感覚では想像しにくい規模でしょう。

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王族級の富

財閥の富裕ぶりを最も実感できるのが、現在も残る旧財閥邸です。

たとえば上野公園に隣接する旧岩崎邸は、一万六千平方メートルもの敷地を持ち、洋館やビリヤード場まで備えた大邸宅です。

旧岩崎邸(Wikipediaより)

しかしこれは岩崎家が所有していた邸宅のほんの一部にすぎません。

岩崎家の主な資産は不動産ではなく株券であり、その財力は邸宅の規模をはるかに上回っていました。

昭和二年の長者番付では、一位から八位までを三菱・三井の一族が独占。岩崎久彌の年収は四百三十万円で、当時の大卒初任給が五十円、労働者の日給が一〜二円の時代です。

これは現代の平均年収五百万円の一万倍に相当し、単純計算で五百億円に匹敵します。一族全員が高収入で、生活は王族のような豪華さでした。

教育やキャリアも特別でした。

例えば、三菱四代目の岩崎小彌太は名門校から東京帝大、さらにケンブリッジ大学へ正規留学し、帰国後すぐに従業員十万人の三菱合資会社の副社長に就任。三十三歳で社長となり、生まれながらの経営者という立場だったのです。

反発と終焉

財閥の富は圧倒的で、庶民から見れば別世界の人々でした。

しかし、それが反発を呼ばないわけがありません。大正デモクラシー期の民衆運動や労働運動では財閥批判が強まり、二・二六事件など軍部の過激思想でも財閥は敵視されました。

特に二・二六事件では安田善次郎団琢磨が暗殺されるなどし、財閥は社会的緊張にさらされます。

安田善次郎(Wikipediaより)

財閥側も世間の反発を察知し、慈善事業役員報酬の引き下げを行いましたが、構造的な富の集中は変わらず、庶民の不満は消えませんでした。

それでも財閥は終戦まで存続し、日本経済の中心として巨大な影響力を持ち続けました。

法人税がほぼ存在しなかった時代に蓄積された富は、現代の感覚では王族級だったと言っても過言ではありません。

戦前の財閥の姿を振り返ると、税制度が社会の富の分配にどれほど大きな影響を与えるかがよくわかります。財閥の富裕ぶりは、庶民に恨まれるのも納得のスケールだったと言えるでしょう。

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参考資料:
大村大次郎『脱税の日本史』宝島社、2024年
画像:Wikipedia

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