『豊臣兄弟!』与一郎は史実でも討死した?実際の光秀の最期など第29回「天下への道」の見どころを史実解説 (7/9ページ)

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その後に斬首された斎藤利三(内藤剛志)の首級も届けられたため、それぞれの首と胴体をつないだ上でさらし者にしたそうです。

光秀「信長を討ったのはわしの手柄じゃ」

誰もが恐れ、多くの者が怨んだ信長を我が手で討ち取った光秀の胸中は、果たしてどのようなものだったのでしょうか。

与一郎は討死したのか?

与一郎の初陣。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

今回のハイライトであった羽柴与一郎の最期。文字通り命懸けで信孝を守った栄誉と引き換えに、あえなく命を落としてしまいました。

与一郎の死因や死亡時期については定説がなく、天正10年(1582年)もしくはそれ以前に亡くなっていたとされています。

であるならば与一郎の退場を悲劇で飾ろうということで、山崎の合戦で討死した設定としたのでしょう。

また一人大切な家族を喪った小一郎は、この悲しみを抱えながら秀吉の野心を献身的に支えていくのでした。

『豊臣兄弟!』豊臣秀長 唯一の嫡男。
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