【豊臣兄弟!】2度の改易から復活した武将・多賀秀種とは?豊臣秀長に仕えた半年間と波乱の生涯 (3/4ページ)

Japaaan

秀吉の死後

前田利常(画像:Wikipedia)

慶長3年(1598年)に秀吉が世を去り、慶長5年(1600年)に豊臣政権を二分する関ヶ原の合戦が起きると、はじめは徳川家康(松下洸平)率いる東軍に与しました。

しかし後に石田三成(松本怜生)率いる西軍へ寝返ったことから、敗戦後に改易(所領を全没収)されてしまったのです。

秀種は甥(秀政の子)である堀秀治(ひではる)を頼って越後国へ移り住み、鴎庵(おうあん)と号しました。

しかし慶長15年(1610年)に堀家が改易されてしまうと、秀種は京都の家康を訪れて赦免されます。

そして慶長19年(1614年)に勃発した大坂冬の陣に従軍。豊臣家の滅亡を見届けることになりました。

戦後は前田利常(前田利家の四男)に召し抱えられ、六千石を与えられたものの、元和2年(1616年)11月3日に世を去ったのです。

終わりに

今回は小一郎に仕えた多賀秀種の生涯をたどってきました。小一郎に仕えていた期間は、半年ほどしかなかったのですね。

一生で二度も改易されるのも凄いですが、月日はかかってもその都度復活する姿に、感銘を覚えてしまいますね。

大河ドラマ「豊臣兄弟!」には多分登場しませんが、画面のどこかにそれらしい武将がいるかもしれません。

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