【豊臣兄弟!】2度の改易から復活した武将・多賀秀種とは?豊臣秀長に仕えた半年間と波乱の生涯 (3/4ページ)
慶長3年(1598年)に秀吉が世を去り、慶長5年(1600年)に豊臣政権を二分する関ヶ原の合戦が起きると、はじめは徳川家康(松下洸平)率いる東軍に与しました。
しかし後に石田三成(松本怜生)率いる西軍へ寝返ったことから、敗戦後に改易(所領を全没収)されてしまったのです。
秀種は甥(秀政の子)である堀秀治(ひではる)を頼って越後国へ移り住み、鴎庵(おうあん)と号しました。
しかし慶長15年(1610年)に堀家が改易されてしまうと、秀種は京都の家康を訪れて赦免されます。
そして慶長19年(1614年)に勃発した大坂冬の陣に従軍。豊臣家の滅亡を見届けることになりました。
戦後は前田利常(前田利家の四男)に召し抱えられ、六千石を与えられたものの、元和2年(1616年)11月3日に世を去ったのです。
終わりに今回は小一郎に仕えた多賀秀種の生涯をたどってきました。小一郎に仕えていた期間は、半年ほどしかなかったのですね。
一生で二度も改易されるのも凄いですが、月日はかかってもその都度復活する姿に、感銘を覚えてしまいますね。
大河ドラマ「豊臣兄弟!」には多分登場しませんが、画面のどこかにそれらしい武将がいるかもしれません。
