もしも豊臣秀長が長生きしていたら…?秀吉の暴走と豊臣家滅亡を防げた「最強のカリスマ性」 (3/4ページ)

Japaaan

秀長は秀吉の暴走を抑える調整役として機能していたとみられ、彼の死と政権の混乱が重なる点は無視できません。

豊臣政権の安定は、秀吉の力だけでなく秀長の冷静な判断によって支えられていたことがうかがえます。

没落への道筋

秀吉の死後には、生前の秀長が警戒していた家臣団の派閥争いが一気に表面化しました。石田三成加藤清正らの対立が深まり、政権の統制力は急速に弱まっていきます。

この内部対立が最終的には関ヶ原の戦いへとつながり、豊臣家の命運を決定づける結果となったのです。

関ヶ原で敗れた豊臣家は大坂城に力を集中させますが、この時、家臣団の結束はすでに失われていました。大坂の陣では徳川方に包囲され、豊臣家は滅亡します。

現在の大阪城天守

この一連の流れを見ると、豊臣政権の崩壊は、豊臣秀長の死とほぼ同時期に起きていることが分かります。

秀長が存命であれば、家臣団の対立を抑え、秀吉の急激な政策を和らげ、後継問題にも一定の秩序を与えていたかも知れません。

そうすれば豊臣政権の崩壊も食い止められ、ひょっとするとその後の日本の歴史は、私たちの全く知らない様相になっていた可能性があります。

歴史上の英雄には二種類あります。「生き永らえることで歴史を変えた」タイプと、「亡くなることで歴史が変わった」タイプです。

もちろん歴史にifはないので断定はできませんが、例えば徳川家康は前者のタイプに該当します。一方、豊臣秀長は後者のタイプだと言えるでしょう。

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