前田利長も細川忠興も「羽柴」だった!? 豊臣秀吉が諸大名に自分の名字を“大盤振る舞い”した本当の理由 (4/7ページ)

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こうして秀吉は豊臣氏の氏長者となり、弟の秀長(仲野太賀)も「豊臣秀長」と名乗るようになります。

「豊臣」と「羽柴」は、どう違うのか?

秀吉は、新たな姓である「豊臣」を朝廷から賜り、豊臣秀吉となりました。ところが、ここから少しばかり話がややこしくなります。それは、秀吉の正式な名乗りをどう考えるかという問題です。

このややこしい話を分かりやすくするために、まず「姓」と「名字」の違いを簡単に説明しておきましょう。

●姓:朝廷との関係や一族の出自などを示す「公的」な名称
●名字:武家社会などで家を示すために用いられた「私的」な名称

たとえば、鎌倉幕府の執権・北条氏の場合、朝廷から与えられた姓は「平」であり、一方、名字は本拠地である伊豆国田方郡北条に由来する「北条」でした。

つまり、「平」という姓と、「北条」という名字は、本来は別のものだったのです。

秀吉の場合も、「豊臣」と「羽柴」を同じものとして考えると、話が分かりにくくなります。朝廷から新たに与えられたのが「豊臣」という姓であり、「羽柴」はそれ以前から秀吉が用いてきた名字でした。

ただし、秀吉自身は豊臣氏を称するようになると、名乗りとして「羽柴」を使わなくなっていきます。一方で、秀吉は「羽柴」という名字を自らの一門や有力大名たちに与えていくことになるのです。

秀吉は「羽柴」を大名たちに与えた

人臣の最高位を極め、新たな氏である豊臣氏を創設し、天下人となった秀吉。

秀吉は「羽柴」の名字を大名たちに授け、豊臣政権を構成する有力者たちに名乗らせるようになります。

その代表例が、冒頭で挙げた大名たちです。

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