前田利長も細川忠興も「羽柴」だった!? 豊臣秀吉が諸大名に自分の名字を“大盤振る舞い”した本当の理由 (5/7ページ)
羽柴備前少将(宇喜多秀家)
羽柴丹後侍従(細川忠興)
羽柴中納言(羽柴秀長)
羽柴伊賀侍従(筒井定次)
羽柴若狭侍従(丹羽長重)
羽柴丹後少将(羽柴秀勝)
羽柴越中侍従(前田利長)
羽柴北庄侍従(堀秀政)
羽柴東郷侍従(長谷川秀一)
羽柴松島侍従(蒲生氏郷)
羽柴岐阜侍従(池田照政)
羽柴曾祢侍従(稲葉典通)
尾張大納言(織田信雄)
羽柴敦賀侍従(蜂屋頼隆)
羽柴陸奥侍従(佐々成政)
羽柴左衛門侍従(津川義康)
羽柴河内侍従(毛利秀頼)
秀吉の弟・秀長や甥・秀勝といった血縁関係にある一門衆が「羽柴」を称するのは当然としても、秀吉の主筋にあたる織田信雄を除けば、かつては同僚だった旧織田家臣団にまで「羽柴」が広く与えられている点は注目に値します。
こうして「羽柴」を名乗る大名たちは、秀吉の一門と密接に結び付けられていき、羽柴一族として認められていったのです。
そして、もう一つ注目すべき点があります。大名たちが、少将・侍従といった官名で呼ばれていることです。これは、彼らが単なる武家ではなく、朝廷から官位を与えられた存在でもあったことを意味し、これを「公家成大名」と称します。