「応仁の乱」はまだ甘かった…?本当の“戦国時代の始まり”とされる「明応の政変」という転換点 (3/5ページ)

Japaaan

足利義澄木像(等持院霊光殿安置・Wikipediaより)

一方、将軍の座を失った義材は北陸へ逃れました。その後も各地を転々としながら復帰の機会をうかがったため、流れ公方と呼ばれることになります。

この一連の出来事が明応の政変です。単なる将軍交代ではなく、将軍の意思に従わない実力者が、将軍そのものを入れ替えた事件でした。

将軍の権威

では、なぜ明応の政変を戦国時代の始まりと考えるのでしょうか。ここでは応仁の乱との違いが重要になります。

応仁の乱では、東軍も西軍も将軍を擁していました。戦いそのものは激しくても、将軍と幕府の権威を利用する仕組みはまだ残っていたのです。

「「応仁の乱」はまだ甘かった…?本当の“戦国時代の始まり”とされる「明応の政変」という転換点」のページです。デイリーニュースオンラインは、明応の政変細川政元日野富子応仁の乱室町時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る