【豊臣兄弟!】信長の葬儀「秀吉vsお市」の真相!秀吉より先に行われた“本当の法要”の謎 (2/8ページ)
「瓢軍談五十四場 大徳寺の焼香諸士の順列をたゞす」 国立国会図書館デジタルコレクション
見つからなかった信長の遺体織田信長の命日は、天正10年(1582)6月2日、享年49歳でした。
本能寺の変での戦いが終わり、明智光秀は信長の遺体を懸命に探すも、遺体は発見されませんでした。
「焼死体が多過ぎて、どれが信長がわからなかった」と伝わります。
「豊臣兄弟!」のドラマの中では、火に包まれた本能寺の中で、織田信長(小栗旬)が、かけよった森乱(市川團子)の頬をペチペチして「わしの首、決して敵の手に渡すでないぞ」と命じ、「おまかせ……くださいませ」と答える場面が印象的でした。
戦国時代の戦いでは、敵方の大将の遺体を確保することは非常に大切なこと。首を獲ったことで“確実に討ち取ったことを証明”して、周囲に知らしめるためにも必要でした。
そんな経験を自ら体験してきた信長。光秀に自分の首を奪われ、この謀反を正当化させることだけは絶対に許せなかったでしょう。
ドラマの中でも、それを承知した森乱は、信長との会話の後、素早く走り去っていきました。主が切腹した後の遺体を燃やすことに尽力したのでしょう。
(畳で囲って、完全によく燃えるようにしたという説も)
その後も明智光秀(要潤)や斎藤利三(内藤剛志)が、焼け跡で信長の遺体を懸命に探す場面が描かれましたが、遺体は見つかりませんでしたね。
太田牛一自筆の『信長公記』には、“自害をした”とは記しても、遺体に関しての記述は見当たらないようです。