ただの宗教伝来じゃない!「仏教」が渡ってきた本当の目的は“兵力”の要請だった? (2/3ページ)
百済は五一三年から、五経博士と呼ばれる官僚を順次、倭へ派遣していました。五経博士は儒教の五経にくわしく、漢字を自由に読み書きできる知識人です。
さらに百済は、暦博士、医博士、易博士なども倭へ送っています。
この事実を見ると、百済と倭の間では、仏教伝来より前から知識や技術のやり取りが続いていたことが分かります。仏教は、その流れの中で倭へ入ってきたと見ることもできます。
百済と倭の関係ここで一つの疑問が出てきます。百済にとっても貴重だった最新の文化や知識、技術を、なぜ倭へ伝えたのでしょうか。
その理由を考える手がかりになるのが、五三八年ごろの朝鮮半島の情勢です。
当時、朝鮮半島では高句麗・百済・新羅の三国が鼎立し、覇権を争っていました。五三八年には百済は新羅から攻撃を受け、その影響で都を移しています。
つまり、百済にとって軍事的に厳しい時期だったのです。
この時代は武器の殺傷力が現在ほど高くありませんでした。そのため、百済も軍事的な援助、とりわけ兵力を必要としていました。
ここで重要になるのが、朝鮮半島から少し離れた倭の存在です。文化の面ではヤマト政権は朝鮮半島より後進的だったとされますが、軍事力は強かったと考えられています。そして、百済はその兵力を欲しがっていたのです。
もちろん、仏教を伝えた目的が援軍の要請だけだったと断定することはできません。