『逃げ上手の若君』時行のライバルで共闘者?足利尊氏との戦いに全てを捧げた諏訪頼継の生涯【前編】 (2/5ページ)

Japaaan

鎌倉時代初頭には、諏訪氏は御家人として源頼朝に出仕。以降、鎌倉幕府の御家人として北条得宗家から御内人として厚い信任を受けていました。

諏訪氏の後継ぎである頼継も、将来を嘱望された存在として養育されたと思われます。

しかし安穏な日々は突如として終わりを告げることとなりました。

元弘3年/正慶2(1333)年、御家人・新田義貞後醍醐天皇方に味方して鎌倉を攻撃。北条高時ら一族は東勝寺で自害して果てました。

京の都では足利尊氏が後醍醐天皇方として、幕府方の六波羅探題を殲滅。鎌倉時代が終わりを告げた瞬間でした。

このとき、頼継の祖父・諏訪頼重は御内人として高時の遺児・北条時行を信濃国に匿います。

時行の生まれ年は元徳元(1329)年。頼継とほとんど年齢が変わりません。そのため2人は近い立場で育ったと思われ、協力姿勢を強めていくのです。

北条時行。中先代の乱以降、頼継と共闘して運命をともにしていく。

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