冗談のつもりが全財産没収!加藤清正の孫「偽の連判状ドッキリ」を仕掛け20歳で非業の最期を遂げる (1/4ページ)
江戸時代、多くの大名家が改易(所領全没収)の憂き目を見ていますが、中にはとんでもない理由で改易されてしまう大名家もありました。
今回は加藤清正の子である加藤忠広(ただひろ)と、忠広の子である加藤光広(みつひろ)のエピソードを紹介したいと思います。
果たして、どんな理由で改易されてしまったのでしょうか。
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加藤光広は慶長19年(1614年)、大坂冬の陣が起こった年に誕生しました。生母は正室の依姫(よりひめ。崇法院)、彼女の母は振姫(ふりひめ。徳川家康三女)であり、光広は家康の曾孫に当たります。

