【豊臣兄弟!】定説が覆る可能性…和睦は家康から?「小牧・長久手の戦い」で秀吉が発した朱印状2通が発見 (2/5ページ)

Japaaan

一通目の朱印状

苦戦しても、あくまで強気な秀吉(イメージ)

日付は天正12年(1584年)4月21日、秀吉から家臣の脇坂安治(わきざか やすはる)にあてたものでした。

当時は秀吉側の有力武将である池田恒興(いけだ つねおき)や森長可(もり ながよし)らが討ち死にしてしまい、羽柴勢に動揺が走っています。

朱印状の中で、秀吉はその現実を踏まえつつも陣地構築を進め、防御を固めていることを強調しました。

すぐに態勢を立て直し、すぐにも反転攻勢へ出ようとする意欲が表れています。

そして伊賀国で後方支援(材木調達)を担当している安治に対して、材木をどんどん用意するように命じていました。

「このくらいで狼狽(うろた)えるな!まだまだ資材が必要だから、大いに励め!」と声を張り上げる秀吉の姿が目に浮かぶようですね。

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