【豊臣兄弟!】定説が覆る可能性…和睦は家康から?「小牧・長久手の戦い」で秀吉が発した朱印状2通が発見 (3/5ページ)

Japaaan

二通目の朱印状

意外と家康の方が苦境に立たされていた?(イメージ)

日付は天正12年(1584年)9月6日、誰にあてたものかはハッキリしません。朱印状の中で秀吉はこんなことを言っています。

「小牧の西側へ回り込んであちこちへ火を放ちまくり、新たに数ヶ所の砦を築かせた。まだまだいくらでも戦うつもりだ」

「そうしたら、信雄と家康から『人質を出すので和睦したい』と言ってきた」

「返答を焦らしていたら、今度は『信長の弟(誰?)や徳川家臣たちからも人質を出す』と言ってきた」云々。

何だ、こちらはやる気満々だったのに……そこまで言うなら、和睦してやろうかな。とでも言わんばかりです。

確かに当時の秀吉なら、まだまだ戦力を投入できたでしょう。とは言えまだまだ天下には強豪が残っていたため、油断のならない状態でした。

家康と秀吉によるギリギリの我慢比べを、制したのは秀吉だったのでしょうか。

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