織田信長は本当に「宗教嫌い」だったのか? 延暦寺焼き打ちと安土宗論から見えてくる「意外な線引き」 (4/5ページ)
石山合戦でも、一五七〇年から一五八〇年まで石山本願寺との戦いが続いています。ここだけを見るなら、信長が宗教勢力にきびしい人物だったという印象が強くなるのは無理もありません。
ところが石山本願寺との戦いでは、異例の判断も示しています。信長が優勢になったところで本願寺が妥協を求めたところ、正親町天皇の勅命によって講和を成立させたのです。
そして本願寺のトップである顕如は大坂を退去しました。信長は、情勢を見て、最後まで戦い続ける必要はないと判断したのでしょう。
これは信長が宗教勢力を一律に攻撃していたわけではないことを示しています。温和な宗教団体として活動するだけなら干渉しませんが、そのかわり敵対すれば軍事的な脅威として対処するという線引きをしていたのです。
したがって、信長=宗教嫌いという単純な図式だけでは、彼の行動原理は説明できないのです。
戦国時代の宗教勢力は、大きな政治力と軍事力を持っていました。信長は宗教への好き嫌いよりも、それが自分の敵か味方かを重視していたと考えるのが自然でしょう。