『豊臣兄弟!』北条氏政が『逃げ若』北条時行の子孫説は本当?2作品をつなぐ「北条」の歴史的接点 (3/7ページ)

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鎌倉北条氏は、鎌倉幕府初代将軍である源頼朝の妻・北条政子と、執権(将軍の補佐役)・北条時政や義時を輩出しています。

ここら辺は大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも取り上げられており、ご存知の方も多いのではないかと思われます。

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北条氏出身の政子からは2代・源頼家や3代・源実朝といった源氏将軍が次々と誕生。北条氏の血筋は一躍、天下に名だたる名流となりました。

鎌倉時代は、北条氏の特に得宗家と呼ばれる本流から執権を代々輩出。最後の執権・赤橋流の北条守時は、足利尊氏(室町幕府初代将軍)の正室・赤橋登子の実兄でもありました(赤橋登子は室町幕府の2代将軍・義詮を出産。鎌倉北条氏の血筋は室町幕府にも受け継がれています)。

そして、鎌倉北条氏の生き残りであるのが『逃げ上手の若君』の主人公・北条時行です。

元弘3(1333)年5月、時行は鎌倉を脱出して信濃の諏訪頼重によって保護。建武2(1335)年に挙兵して鎌倉を奪還しています(時行の叔父・北条泰家なども鎌倉奪還のために先代合戦に参加しています)。

『鶴岡社務記録』によると

正平8/文和2(1353)年、「相模次郎」が龍ノ口で処刑。この人物こそが北条時行と考えられています。

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