『豊臣兄弟!』北条氏政が『逃げ若』北条時行の子孫説は本当?2作品をつなぐ「北条」の歴史的接点 (4/7ページ)

Japaaan

このとき、鎌倉北条氏の血筋は完全に途絶えた…と思われがちですが、実際は北条時行の子孫と称する一族も何人か確認されているのです。

時行の子孫と北条氏政がどう繋がるのでしょうか。

北条時行。足利尊氏に生涯にわたって対抗し続けた。

戦国関東に100年君臨?小田原北条氏の系譜

天文8(1539)年ごろ、北条氏政は北条氏康の長男として生まれました。

生まれた北条氏は、相模国小田原城を本拠とした後北条氏です。その系譜は、すでに氏政で4代目となっていました。

初代・伊勢盛時は「北条早雲」の名で知られる武将です。出家後、盛時は早雲庵宗瑞と号ししており、北条とは名乗っていません。

盛時の実家は室町幕府に仕えた備中伊勢氏と考えられています。同氏は幕府政所で代々執事を継承してきた家柄でした。

北条と名乗ったのは、盛時の子・氏綱の代です。

大永3(1523)年、氏綱は伊勢から北条へ改姓。そのため「北条早雲」という呼び方自体、息子以降の家名を初代にさかのぼって当てたものなのです。

ではなぜ、別系統の一族が「北条」を名乗ったのでしょうか。

これは第一に、相模支配の正当性を示すためだったと考えられています。

伊豆と相模へ進出した伊勢氏は、関東から見れば外来の勢力、いわばよそ者です。対して鎌倉北条氏は、かつて相模と鎌倉を支配した名門でした。

そこで氏綱は北条の名跡を継承。北条氏綱となって、鎌倉北条氏が使っていた三つ鱗の紋を掲げました。

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