将軍がいなくても京都は回る!?「将軍なき政治」を成立させた三好長慶の凄みと崩壊の理由 (2/4ページ)
ここで長慶は、晴元と行動していた13代将軍・足利義輝を京都へ戻す道を選びませんでした。
長慶が始めたのは、将軍のいない京都で政務を行う政治だったのです。朝廷とも協議しながら政務を進め、将軍家を政治の中心から外した政権が成立したのです。
さらに1553年には足利義輝を追放しました。1558年の改元では朝廷から補佐を任されるなど、将軍が担っていた仕事の一部まで長慶が処理しています。
天下を動かすでは、長慶の勢力はどれほどのものだったのでしょうか。
ここでちょっと豆知識ですが、戦国期の「天下」という言葉は現在の日本全国ではなく、山城・大和・摂津・河内・和泉の畿内の五か所を指すことが一般的でした。
ここには政治の中心である京都があります。さらに経済の中心だった堺も含まれており、現在でいえば首都圏に近い重要地域だったのです。
つまり長慶は、単に地方で勢力を伸ばした大名ではありません。京都を軍事的に押さえ、将軍に頼らず中央の政治を動かした武将だったといえます。
そんな三好政権を支えたのが、松永久秀らの有力な家臣でした。