大河『豊臣兄弟!』に登場なるか?羽柴秀長に仕えた謎多き茶頭・曲音の正体とは (2/4ページ)
そんな曲音は『松屋名物集』によると京都の新在家(しんざいけ。京都市上京区)に天正7年(1579年)ごろ住んでいたと言われますが、そこの出身であるかは不明です。
茶の湯を誰から教わったのか、そもそもどういう経緯で茶人を志したのかについてもわかりません。なのでもし曲音が物語に登場するなら、この辺りは創作のしがいがあるでしょう。
曲音は小一郎に仕える前、大和国の大名・筒井順慶に仕えていたと言います。どういう立場で仕えていたのかははっきりしませんが、やはり茶人として仕え、実績を積んでいたと考えるのが自然な流れでしょう。
小一郎の専属茶頭となるが
曲音が小一郎に仕えた厳密な時期は不明ですが、大和国を中心に活躍していることから、小一郎が四国征伐の武功によって大和一国を与えられた天正13年(1585年)以降と考えられます。
かくして小一郎の茶頭となった曲音は、大変に重用されました。大和郡山城内には「曲音茶堂(~さどう)」と呼ばれる専用の茶室が設けられたことから、小一郎はよほど曲音を重んじていたのでしょう。
曲音はその期待に応えるべく、天正14年(1586年)の3月と9月、翌天正15年(1587年)1月に城内で三度の茶会を開きました。
しかしそれ以降、曲音の活動は確認できません。最晩年の小一郎が身体を壊してしまったため、茶会どころではなくなったのか、あるいは何か不祥事によって失脚したのでしょうか。