【豊臣兄弟!】信吉に甘すぎ!見えた秀吉・秀長の違和感…信長三傑・滝川一益の栄光と悲劇——第35回考察 (9/15ページ)
しかし一益は、新参者として信長に仕えた武将の中でも、秀吉、明智光秀(要潤)と並ぶ出世頭であり、非常に優秀な人物だったのです。
一益の出自や若いころの経歴には不明な点も多いのですが、1525年(大永5年)生まれとされ、近江国甲賀出身とする説があります。また、鉄砲の技術に長け、30代前半には織田信長に仕えていたとされます。
一益の存在が大きく知られるようになるのは、1567年(永禄10年)ごろ、伊勢の北畠具教との戦いである北伊勢攻略戦のころからでした。
一益は織田軍の先鋒を任され、調略を用いて具教の籠る大河内城を攻略。その功によって北伊勢五郡を与えられています。
さらに1573年(天正元年)からの長島一向一揆との戦いでも重要な役割を果たし、長島城主となりました。
このように伊勢湾に面した領地を与えられたことで、一益は水軍とも深く関わるようになります。
長島一向一揆に際しては、九鬼水軍の総帥・九鬼嘉隆らとともに水軍を率い、海上から織田軍の攻撃を支えました。