【豊臣兄弟!】千利休と羽柴秀次が切腹…2人の介錯を務め「首」を斬った武将・雀部重政の悲劇的な末路 (3/3ページ)
そして文禄4年(1595年)7月15日、秀次は謀叛の濡れ衣を着せられて切腹を余儀なくされてしまいました。
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無実ゆえの切腹!?妻子ら30余人が公開処刑、謎に包まれた戦国武将・豊臣秀次の切腹の真相重政は秀次の介錯を務め、その最期を見届けた後に殉死します。享年37歳。我が手で師匠を斬り、また主君を斬らねばならない悲劇的な最期でした。
秀次の介錯に用いられた南都住金房兵衛尉政次の銘刀は、兄の六左衛門が引き取り、その子孫によって受け継がれたそうです。現在は大阪城天守閣の博物館で保管されているといいます。
重政の息子であった雀部重良(しげよし)は外祖父(重政の舅)に当たる佐野綱正が養育しました。やがて徳川家康に仕えて小姓となり、後に旗本として近江国に8百石を賜ったということです。
終わりに今回は雀部重政の生涯をたどってきました。戒名は大雄誓義居士(だいゆうせいぎこじ)、墓所は知恩院塔頭如意庵にあり、今も人々を見守っています。
果たして大河ドラマ「豊臣兄弟!」には、雀部重政が登場するのでしょうか。今後も楽しみに見守りたいと思います。
※参考文献:
阿部猛ら編『戦国人名事典 コンパクト版』新人物往来社、1990年8月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan
